2019年10月2日水曜日

断夫山古墳

 名古屋市熱田区に、熱田神宮が管理している前方後円墳があることは知っていましたか。
 この古墳に永眠されているのは、宮簀媛命(みやすひめのみこと)という説があります。日本書紀でみやすひめ、古事記では美夜受比売と記載されているそうです。
この方、日本武尊。つまり「やまとたけるのみこと」の妻なのです。 
 熱田で夫婦は別れ、現在の滋賀県へ遠征に赴いた日本武尊はその後、伊勢の国、能褒野(のぼの)、現在の亀山市で命を散らされています。
そこには“日本武尊能褒野御墓”(やまとたけるのみことのぼのおんぼ)と呼ばれる古墳があり、上述断夫山古墳の南側にも白鳥古墳という、日本武尊が被葬されている(諸説あり)陵墓が築かれています。
 
 白鳥庭園や白鳥国際会議場も近くにあります。
 第12代景行天皇の命で、日本国統一の遠征のラストが、宮簀媛と永遠の別れとなった近江での戦い。恋しい姫との別れを惜しみ「必ず戻るから‥」と、大切な神剣:草薙(くさなぎ)の剣を預けていくも、いつもの剣を帯刀していなかった武尊皇太子は、敵の毒をもらい、退却の帰途の途中、伊勢の地で世を去ります。30歳とのこと。
 その後、その亡がらは「白鳥」に姿を変えて大空へ羽を羽ばたかせて、奈良、大阪を経由し、最後に姫の待つ白鳥古墳の地へと降り立ったと云われているそうです。
 熱田神宮では、この白鳥伝説をお守りにして、授与されています。

 亡き日本武尊への想いを抱いて宮簀媛が没したという伝承から、夫を断つ山という「断夫山」の表記がされたこの古墳。
 戦前までは熱田神宮が管理。戦後、県有地となりましたが、1987年に国の史跡として神宮庁に管理が移って、発掘調査は封じられてきました。
 愛知県、名古屋市の両教育委員会では令和2年1月から、初の発掘調査に乗り出すことを発表(9月18日)。
 前方後円墳の周囲には周濠があるところ、現在は伏見通(国道19号線)や市街地に埋まっているとされ、この周囲確定から10年かけて測量調査が行われます。

 県と市の共同作業。このお話、今回の境界シンポジウムにて再び登壇をご依頼させていただく予定の、名古屋市議会議員 横井利明先生が大村知事に申し入れされて実現したということです。

 横井先生、今後ともよろしくお願いいたします。