義父は、一年の闘病後、築地のがんセンターで天に召されました。いつも病室にこの冊子が置かれていましたが、さほど気にとめることもなく、生意気な30代の私は、朱子学、陽明学といった世界と、安岡正篤(マサヒロ)氏という政財界に大きな影響を遺した方の事も、興味をほぼ感じず、平成のバブルに呑み込まれていきました。
あれから30年・・・綾小路きみまろではありませんが、この致知を読むようになり、先回の「こども論語塾」の件も、そのひとつです。
何の為に土地家屋調査士という国家資格者として、30年、40年続けてきたのか。そしてこの先、何が使命なのか。例えば、吉田松陰や横井小楠(ショウナン)が、ほとんどお互いに接点がないにもかかわらず、1853年ペリー来航の年に、松蔭が熊本に横井を訪ねて、お互いの情熱、国家の在り方を語り合った。混迷する日本の進むべき道を話し合い、この一つのテーマに、心と心が呼ぶ、英雄が英雄を呼ぶという様。ある意味、そこから明治維新のエネルギーは凝縮し、真の点火が始まったのではないか、といったような研究家の対談記事を読みながら、30代、40代、そして50代と、勉強をしてこなかったものだなぁと、反省しきり。
最近少しずつ、中国の古典、論語に限らず、生来の中韓拒否の自分をおさえて、読むようにしています。
自分の使命は、まだわかりません。この先、何ができるのか。何か変えられるものか、わかりません。ただ、こうして愛知会会長3年目。且つ、連合会副会長に就いて2ヶ月丁度を経過する今、1100名、更には16700名の中の様々な声、状況も知ることとなり、わかってはいないなりに、学び受ける覚悟は再認識している次第です。
この会務、そして土地家屋調査士たる自らの仕事を介して、世の中と向き合い続け、生涯現役、貫きたいものです。
何の為に土地家屋調査士という国家資格者として、30年、40年続けてきたのか。そしてこの先、何が使命なのか。例えば、吉田松陰や横井小楠(ショウナン)が、ほとんどお互いに接点がないにもかかわらず、1853年ペリー来航の年に、松蔭が熊本に横井を訪ねて、お互いの情熱、国家の在り方を語り合った。混迷する日本の進むべき道を話し合い、この一つのテーマに、心と心が呼ぶ、英雄が英雄を呼ぶという様。ある意味、そこから明治維新のエネルギーは凝縮し、真の点火が始まったのではないか、といったような研究家の対談記事を読みながら、30代、40代、そして50代と、勉強をしてこなかったものだなぁと、反省しきり。
最近少しずつ、中国の古典、論語に限らず、生来の中韓拒否の自分をおさえて、読むようにしています。
自分の使命は、まだわかりません。この先、何ができるのか。何か変えられるものか、わかりません。ただ、こうして愛知会会長3年目。且つ、連合会副会長に就いて2ヶ月丁度を経過する今、1100名、更には16700名の中の様々な声、状況も知ることとなり、わかってはいないなりに、学び受ける覚悟は再認識している次第です。
この会務、そして土地家屋調査士たる自らの仕事を介して、世の中と向き合い続け、生涯現役、貫きたいものです。