2023年1月4日水曜日

新年おめでとうございます

 年明けの眠たい頭を捻って、地元 名古屋市の不思議な街づくりについてアップしてみます。

 名古屋の戦後、地図の精度の良さ。こんな事情がありました。

 

●名古屋の戦後復興、土地区画整理事業、猛スピードで着手

昭和20年8月5日終戦(敗戦)

  2ヶ月後

10月10日 佐藤市長→田淵寿郎(じゅろう)名古屋土木出張所一技監として指名

(9月には、名古屋市が市再建に関する決議)

12月6日 (大中京再建構想)→戦災地復興計画基本方針・国が閣議決定

 

  当初、100m道路は、主要7都市で計画したが、結果的には名古屋市の2本、広島市の1本のみ実現。

終戦直後から、測量器具を大量に調達し、早期に市内中心部の仮換地を指定して建築制限を行なった。又、戦時中に実施した帯状建物疎開空地を地権者へと返還せず、広幅員街路の用地にあてた。

・久屋大通 平均幅員112m

・若宮大通        100m

      災害時の延焼被害を防ぐ

 

  名古屋市が整理事業を行う予定区域 約4400haの中に、約300の寺院があり、墓地が付随していた。寺側も空襲を受け、檀徒の離散により墓地も荒れ放題。

約19万基もの墓を平和公園(旧陸軍の演習場)へ移転、一ヶ所に集めた。

1947年(昭和22年)〜1957年(昭和32年)には、寺院数278、墓地面積18万㎡ +α、18万7405基の墓が移り、中には尾張徳川家代々の墓や、同盟国独逸(ドイツ)人墓地等もまつられた。


  公園、鉄道、地下街

1967年(昭和42年)地下鉄東山線(名駅〜栄)開通、同時にナゴヤ地下街も開業した。

小学校1学区1公園を目指したが、大きな公園は難しいとして、土地区画整理の市の保留地を「どんぐりひろば」といわれる子供の遊び場とした。

(ちなみに、現在までに名古屋市の栄誉市民は唯一人、田淵寿郎のみ)

 

 名古屋市は、全国的にめずらしく、昭和20年の終戦後、直ちに戦災復興土地区画整理を実施し、施工しきりました。

勿論、間数表示の間口の為、0.01間・Kは、最大1.8mの誤差を含みますが、復元性はしっかりある事によって、正直、他の地域、他の大都市と比べ、街中の測量費用は少々廉価にておさまります。

 それはさておき、百米道路と、墓地を近傍にもたない多くの寺院。全国47都道府県中、寺院数4558寺の愛知県は、2位大阪3382寺、3位兵庫県3282寺を大きく引き離して第1位なんですね。

神社仏閣が多いイメージの京都府は3065寺で5位、奈良市は1818寺で16位(2020年文化庁宗教年鑑より)。

 名古屋市内の寺院は、基本財産(宗教法人の非課税土地)と、課税対象となる普通財産を、かなりの筆数所有しており、借地も多く、寺院の管理状況、代表役員、住職、門信徒、檀家、総代・・・どの人が、どこまでの権限を持たれているのかを把握するのに、土地家屋調査士の同輩は悩まされます。

 

新年早々、お寺話で。改めて、おめでとうございます。

 この先、連合会会長選挙、立候補後の個人活動、報告してまいります。